おぐら山荘

どうぞごゆるりと。

「真空ポットの空を飛ぶ夢」

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恐らくこれから複雑に分岐する未来の内、ある一つの未来が存在することが判明しました。

今回は、それをここでは書きたいと思います。

 

まず、このイラストは、「真空ポットの空を飛ぶ夢」という作品です。

アパートに借りぐらしをする小倉と云う者の手によって書かれた作品です。

中心に花柄の真空ポットが中空を舞っているという様子をイラストとして書き起こしたものです。

 

このポットは昭和世代に流行った花柄きれいなポットをイメージしたもので、下段には菊のようなもの、上段には花のようなイラストが描かれています。

 

本人インタビューによりますと、かつて2010年まで小倉家の実家で使用されていたポットを追想して書かれた、とのことです。

 

100年後にはこの歴史的名画にも贋作が現れ、この貧相な飛ぶポットは真作であるにも関わらず、街中から排除され、贋作「真空ポットの空を飛ぶ夢」が世間一般に流布され、贋作「真空ポットの空を飛ぶ夢」が美術館に並び、贋作「真空ポットの空を飛ぶ夢」があたかも真作「真空ポットの空を飛ぶ夢」として扱われ、教科書に載っていると思います。

 

ここには、ありもしない未来の内の一つの過程を仮定して書いたものです。

人生、レールの上を生きているようで、何が起こるかわかりません、バブル期の頃、土地の値段が上がっていく一方で、落ちると信じていた人は何人居ましょうか。

未曽有の災害、緊張した国際関係、5年前の今、起こると思ったでしょうか。

今まさしく、一寸先は闇という無限に存在する未来を手探りで歩んでいるのが我々です。

 

もしかすると、このイラストも百年後には正当な評価をされるか、真っ当な評価をされるかという可能性もあります。

 

事実は小説より奇なり、一体誰が本当の事実を知るでしょうか。

予想だにしないことが起こりえるのもこの現実社会です。

USBのフラッシュメモリが、コンピュータの小型化が、壁をすり抜けているという未知の既知技術から成り立っているという事を知っているでしょうか。

年間地球上で4000万便運航される飛行機のうち、実際に航空事故を起こす飛行機はたったの644便で、一日頭で世界中を見ても2件も事故が起きないほどの安全な乗り物であると考えたでしょうか。

 

奇跡や予想だにしないことの積み重ねこそが今の現実であり、これからの未来であり、これまでに積んだ過去ということす。

我々はどこから来たのか、我々は何者か、我々はこれからどこに向かうのかわかりません。

自分らは人間じゃないか!と思っても、人間が高度知的生命体として進化したメカニズムや、文化の発展、また何故2足歩行で2本の手が生えている生物の知能が高度なのか、あるいは地球外他惑星にそういった高度な知的生命体は、いるのか。

まだわからないことがたくさんあります。

 

何処へ行くのやら彼処へ行くのやら一寸先の闇を見て手探りで必死にもがいて生きていくのが生物のさだめです。

強く生きましょう。

 

これを書いた人類も、見ず知らず未知との遭遇である未来と、必死に戦いながら書き、過去を振り返ってこんな稚拙な文章を書いていたのでしょうと必ずや後悔をするでしょう。

文章は一晩寝てから見ると、冷静になり、その修正点に気が付くはずです。

付け焼刃で文章を積み増している今現在、夢中に書いているが、それは実は盲目になっているということに気が付きつつも、訂正をできずにいるでしょう。

 

今読んでいる貴方は幸せです。

稚拙な文章を見て、勝っていると愉悦感に浸ることができます。

 

しかし、村上春樹もこれだけに関しては「文章は一晩寝かせてから見るとよい」と言っています。実際に行うということは相当難しいものだと思います。

実際、ポットが中空ということは絵空事のようなことで、現実世界で、何の原理や仕掛けも無しにポットが中空を舞うということは恐らく不可能な事象です。

アメリカのエリア51には多数の宇宙人がいるといわれますが、それなら退職した人の一人や二人ぐらいが話してもおかしくないと思います。

メン・イン・ブラックといえば記憶操作ですが、つい最近では、レーザー光線の光の刺激により、ある程度の記憶操作が出来るようになったとあるらしいです。

アメリカではアーノルドシュワルツェネッガーは1994年に妊娠しており、日本では三重県四日市等に存在する石油コンビナートが正体不明の巨大生物に度々踏み倒されているのが恐らく映像作品としてご覧になった方もいると思います。

つい最近でも、東京に巨大生物が襲来し、内閣府の人間が巨大生物のビーム状の光線によって焼き払われたり、男女の高校生ペアが転校生でもないにも関わらずの身体が入れ替わる混入事故といった事象が起きています。

このように、文章をいくら書いたところで、読みづらければだれも読んでくれません。

 

ここで、最初の一文を取り出すと「恐らくこれから複雑に分岐する未来の内、ある一つの未来が存在することが判明しました。」と書いてあり、ここすぐ上部のお話とは何ら関連性が見いだせないと思います。文章校正のなさによる、漂流事故です。

しかし、これも多数あるうちの未来の一つです。ここを読んでいる人は、漂流事故のような稚拙な文章を目にしているでしょう。しかし、もし、あの時等があればこの文章も中身が違ったかもしれません。

長々と読んでしまっては残念ですが、これも一つの未来です。

強く生きましょう。