おぐら山荘

どうぞごゆるりと。

脳みその清算

脳みその清算ということで少しだけでも書かせていただきます。

脳みそも使わないと古びて怠けて鈍ってしまうと、個人的には思っています、科学的根拠は何らありません。ご参考にしないでください。

機械なんかは特にそうで、使っていない機械はどんどん錆びて鈍っていきます。

この時点で科学的な根拠が全くないというのがよくお分かりでしょう、これで科学的根拠が存在すると思うならば脳みそにアップデートか緊急修正パッチが必要でしょう。

こうやってづらづらと何でもないことを書き連ねることで、脳みそを働かせてやろうということです。

こうやって1週間かあるいは一か月かの区切りで清算をすることで、記憶はデフラグされ、覚えやすいものになると思います。科学的な根拠は一切合切ありません、保証もできません。

別にこうやって文字にするとかそういう手段でもなくても良いかもしれません。

無意識が生み出すアルゴリズムに基づいて書いている為に非常に偏向的バイアスの掛かった文章が生成されています。この記事は日常の何気ない景色に潜んでいる私の生活を見ている誰かに向けている記事ではないので、目に優しくありません。日ごろから、誰かは誰かのことを無意識もしくは意識的に監視し、監視されていると思います。

そんな狂ったお話はないと考えても実際はそうで、「~~で~~にあおり運転をされた」とか「~~みたいな人がコンビニで悪態ついていた」とか、常日頃誰かは誰かを監視しています。それは貴方かもしれませんし、あるいは自分かもしれません。

こうやって見ると世の中がいかにして複雑な相互監視社会であるかがハッキリわかります、都市部みたいに多少なりの無関心さがある具合なら良いのですが、ローカルなプリミティブな寒村山村では、いまだに異常なまでの母集団に対する偏向的バイアスともいえるぐらいの文明が、現代の在り方と到底相容れない相互監視社会の状態が続いているとも言えます。村八分なんかもそうです。誰かは誰かを見、誰かは誰かに見られ生きているのです、あきらめて暮らすしかありません。その中でもいかにして綺麗に着飾って生きるか、あるいは捨てる部分は捨てるか、で人間は狭い枠組みのなかで生きているなあ、と思います。

記憶の整理や考えのデトックス、ストックを吐き出したところで今回はここまでにしておきます。