おぐら山荘

どうぞごゆるりと。

徒然なるままに

最近ボクが若干思ってるんですけど、徒然なるままに日暮らし、キーボードに向かいて心にうつりゆくよしなしごとを、そこはかとなく書きつくれば、あやしうこそものぐるほしいような酔狂な人間は世の中沢山いるんだなあとおもいました。

 

というのも、ブログと言えば2005年の流行語大賞にノミネートされるなど、かつての功績からはや13年経った今、インターネットコンテンツのトップに君臨しているのがSNSだと思ったからです。インスタ映えという言葉も2018年賀正のワタクシには、17年の流行語大賞にノミネートされるなど、記憶に新しいですし、やはり時代は移ろいゆくものだとも思ってもいます。

 

日ごろの心に来た取り留めのない事を残す、ということでは最近は映像媒体による保存もはやっています、大手動画サイトYoutubeでは顕著です、最近ではヴァーチャルな存在まで自己を記録として映像媒体による保存を行っています。

 

流石に流行語大賞にノミネートされて13年も経てば長続きしているもの、あるいは更新が止まってしまったもの、消してしまったものと様々なものに分類されるからです。かつてボクも4度か5度くらいはブログをおったてては消しておったてては消していました。

ぼくは長続きする気がしないんですけど、とりあえずは頑張ってみようかと思います。

 

日本人が記録を残すことの特異性に於いては特に顕著で、10世紀頃の日記オカマ紀貫之や11世紀最大の恋愛長編小説の源氏物語や14世紀の実質ブロガー吉田兼好など、その文章は日本の文学史においても重要な意味合いを持っています。

またアメリカでは14世紀より前の古文章が存在しないことからも日本人の記録に対する特異性が明らかになっています。

現在も、ケータイ小説なる文学や、ライトノベルといったジャンルの文化、漫画といった文化は輸出する側の存在として、日本では文字媒体、図画媒体を輸出する国という位置にあると思います。

 

ボクのブログも26世紀ぐらいになると古文章として教科書に載るんでしょうかね。

おそらくこのようなデタラメな文章を書くと誰も読まなくなったり、未来の人間が混乱すると思います。あと、死後売れだすぐらいなら今生きているうちに値段になってほしいと思っています、おそらくゴッホもそう思ったでしょう。

 

今は昔と謳われるようになるころには人間はどんな暮らしをしているでしょうか。

人は今も昔も過去の光を見て何を想うか、夜の空を眺めて想いをはせています。

 神のまにまに

 

杜若

 あやめも知らぬ

  小倉山

書き繕えど

 想いやまやま

おぐら

 あ、広島県北広島町にはあやめの綺麗な公園がありますよ、時期が今じゃないんでどうしようももないんですけど。

本当にどうでもいい事を長々と書く冬の夜長でした。